千虫譜ウィキ - 原本B1-18


原本A

生物情報

翻刻

稲草ニテ編笠ノ如形ノモノヲ作リ内ノ上ノ処ニ酒ヲ塗リ蜂ノ多ク簇リ居タル枝上ニ蓋ヒ
置キ下ヨリ竹葉ニテ下ヨリ竹葉ニテ趕オフトキハ皆其中ニ入ル一蜂入ルトキハ衆蜂尋テ皆入ル是ヲ採下シテ仰キ置キ其
上ニ箱ヲ蓋ヒ帕*1ニテ裹ミ一夜ヲク時ハ皆箱中に上リ入ルトナリ
蜜蜂ノ巣ヲ截リ採ルニ時アリリ秋ノ土用明ケテヨリ採リテ宜シトス大抵其多寡ヲ見或ハ
其巣ノ軽重ヲ試ミテ見計テ採ルヘシ大抵半分ハ残シ半分取ルヘシ三分一ヲ残テハ蜂多ケ
レハ春月マテ粮不足ノ事モアルへキナリ其年ニヨリ雨天ツゝクカ又ハ風アラク吹寒威早ク
至リテ花ノ少キ年ハ巣孔ニ蜜ヲ蜜ヲツメヌ事アリ空巣*2ト云蜜ヲツメタル巣ヲ飴巣ト云此空
巣は用捨ナク取サルヘシ是ヲ截採ニ器アリ銕ニテ作ル一尺六寸*3其端巾一寸三分*4刃アリ箱
ノ隅ノ処ヲツキゝルモノヲ突キリト云又鍬ノ形ヲナスモノ是モ柄ノ長サ一尺六寸*5サキ刃アリ是モ
一寸三分*6ナリイツレモ水ニテ柄ヲヌラシ握使ニス*7又此形ニテサキノ尖レルモノアリ是モ端ノマカレル處
ヨリサキノ尖ル処一寸三分*8アリ以上ニ本ヲ掻切ト云其外ニ庖丁と云モノ今俗に薄刃ト云モノ
ゝ如シ此物専用ヲナス凡巣ヲ截採ルニハ秋ノ土用後七日八日十日頃ニヨロシ天気快霽ノ日
中ニ宜シ大抵月ノ初十日頃ヨリ廿日頃マテアシゝ月夜ナレハナリ廿四五日ヨリ翌月五六日頃マ
テ截採ルニ宜シ暗夜ナレハナリ是如何トナレハ月夜ハ月夜ハ夜中遊テ花巣ノマゝニ置ナリ暗夜ハ花巣

少クシテ蜜多シ花巣トハ花中ノ黄蕊ヲ房孔内ヘツメコレヲ醸ス事ヲセズ只黄粉のマゝニテア
ル者ナリ闇夜ハ夜モ外ニ紛レ遊フ事ヲセス夜中専一ニ巣ニツキ居テ黄蕊ヲ蜜ニ醸シ成事
多シト云此説古人ノ未識處ニシテ先輩書冊ニモ載サル處ナリ 南紀公西園中ニ養畜ス
ル處ノ蜂蜜ヲ截採ヲ親ラ観ル其時庭方隆蔵ト云モノ語ルヲ聞ルマゝニ珍事ナリハ此ニ記

其蜂ノ堂ノ扉ヲ開キ右ヲ截ントスルニ右ノ方箱ノ上ヲ軽ク叩くハ皆左ノ方へ聚リヨル右ノ方
巣ノアラハニ見ユルヤウニナルヲ截採ルニ労ナシ又左ノ方ヲ截ントスルモ前ノ如シ群蜂怒リテ人ヲ趕
又ハ螫へキト兼テ覚悟セシニ意外ニ穂平ニシテ尋常ノ蜂類トハ殊異ナリ其截ル人衣ヲ
衣ヲ腰ニ纏ヒ袒裼露躰ニシテ截断スルニ聊モ毒螫ノ患ナシ其人云衣間ニ蜂ノ入ルヲ押ルカ痛
ムル寸ハ遂ニ螫モノナリ人ヲ螫トキハ其蜂立處ニ斃ル是ニヨリテ人ヲ螫ス事ヲ好マスト云懼
ニ不足モノナリ若螫レタリト雖モ他ノ蜂ノ如ク腫痛ハナキモノナリ甚キモノニ非スモシ螫ル
ゝモノハ直ニ生蜜ヲ塗ルベシ立ニ其痛ミ腫消シテ安シ〇凡そ普世通用スル丹圓ノ薬剤
皆此蜂蜜ヲ練去滓製スル處ナリ天下人民此物ノ稗益ヲ被ルモノ挙テ数フヘカラス去ナカ
ララ蜜ハイカナルモノナリト云事ヲ知ルモノナシ只味ノ甘美ナルモノト云事ヲ知ルノミナリ因リテ兹

書き下し

現代語訳

藁で編笠のような物を作り内の上の所に酒を塗り蜂の多く群がっている所を
枝の上におおうようにおいて、下から竹の葉で追ってやると皆其の中に入る。一匹蜂が入れば
他の多くの蜂もその蜂を訪ねるように皆入っていく。
これをとって、表にかえして置き、其の上を箱で多い、手拭いでつつみ
一夜をけば、皆箱の中に上り入る。
蜜蜂の巣を取るのには時期がある。秋の土用*9が明けてから取るのがよい。
大抵半分は残して半分をとるべきである。三分の一だと、蜂が多い時、春まで
食料が不足する事もある。その年により、雨が続いたり、風が
荒く吹き寒さが早く来て花が少ない年は、巣の孔に蜜を詰めない
事があり、空巣という。蜜を詰めてある巣を飴巣という。この空巣は取り去る。
巣を取るにあたり、道具がある。鉄で作った60cm程度で
先の幅5cm程度の刃がある。箱の隅を突き切る物を突切という
また、鍬の形をしていて、柄の長さが60cm程度先に5cmほどの刃があり、
どれも木で柄をつけて握るのに便利にしている。またこの形で、先のとがっている
ものもある。端の曲がっている所から尖るところが5cmほどある。
以上の二本を掻切と名がついている。その外に庖丁というもの、今俗に薄刃という物の
ようなものが、もっぱら用いるものである。だいたい巣を取るのには秋の土用のあと、七日八日十日頃
がよい。天気快晴の日中がいい。大抵月初め十日頃から、二十日頃までよくない。
なぜかというと、月夜なので、蜂が夜中遊びに出て、花巣のままにしておく。
暗い夜は花巣が少なくて、蜜が多い。花巣とは、花の中の花粉を房の孔に詰めてこれを醸す事をしないで
黄色い粉のままにしてあるのを言う。闇夜は夜も外に紛れて遊ぶことはしないで、もっぱら巣にいて
花粉を蜜に醸す事が多いという。この説は、古い人の知らない事で、
先輩の本にも載っていなかった。これは南紀州西国中で蜂を飼い巣を採集するのを自ら観た時、
庭方隆蔵という人が語るのを聞いたまま珍しい事なのでここに記した。
その蜂の堂の扉を開き右を切ろうとするときは右の方の箱の上を軽く叩くと
皆左の方へ集まる。右の方の巣が見えるようになったのを切り取るのは簡単である。
また左の方を切ろうとする時も同じようにする。群れた蜂が怒って人を追い回したり刺すだろうと
あらかじめ覚悟していたが、意外に穏やかで、普通の蜂の類とは全く違う。巣を切り取る人
は服を腰にまとって、上半身は服を脱いで肌をあらわにして切り取るのに、すこしも毒に刺される様子がない。
その人が言う事には「服の間に蜂が入ったのを押すか、痛めつけると、ようやく刺す。人を刺すと、
その蜂はたちまち死んでしまう。だから人を刺す事を好まないのだ」という事である。恐れるにたらない。
もし、刺されたたといっても、他の蜂のような腫痛はない。その毒も大したことはない。
もし刺された人はすぐに生蜜をぬるべきである。すぐに、その痛みは止まり腫れも
ひき楽になる。
大体世の中に流通する丸薬は薬剤を皆この蜂蜜を練り、不純物を除いて作る物である。
世の人々はこれによって他にない好い薬を使う事ができるようになった。
人々はこの物の利益を得るもの数えきれない。しかし、蜜は
どんな物かという事を研究する人はいない。ただ、味が甘くておいしいという事を
知っているだけである。なので、ここ(に――次ページへ続く

備考

ハチの巣を切り取る道具の柄について
水で濡らして滑らないようにすると、
木の取っ手をつけて握るなど、A本B本で
内容の食い違いが見える。
おそらく木と水、使と便をどこかで写し間違え
帳尻合わせに続く文が改竄されたのでは
ないだろうか。

自ら蜂の巣を採集する様を紀州(徳川家?庭内?)で観察する機会があったようである。
さらに、江戸官邸でも、遊びに蜂を飼い蜜をとったり、観察したりしたようである。
精密な図が描けたのはその為だろうか。

ここまでの記述で、本草家の間でも、蜂蜜は米から酒を造るように、
ハチが何らかの労力をかけて作る物だと、とらえている事がわかる。
特に、庭方隆蔵の「米から酒を造るように花粉から蜜を作る。
月夜は蜂が遊びにでかけ、蜜づくりをさぼるので、花粉が多い、
闇夜は遊びに行かず、蜜づくりに専念する」という伝承は面白い。
なお、花粉は蜜とともにミツバチの主食であり、
決して花粉を蜜に変えている訳ではない。

ミツバチの毒針はかえしがついており、針を抜くときに
ミツバチの内臓(毒袋でもある)が共に引きずり出されてしまうので
ミツバチは死んでしまう事がすでに知られている事がわかる。
また、刺された際は蜜を塗るという民間療法も紹介されている。

ミツバチに刺された場合、毒袋のついた針が皮膚に残るので、
落ち着いて、なるべく早く針を抜く事が重要である。
その後は傷を水で洗い、氷で冷やすことで、重症化を防ぐことができる。
稀にアナフィラキシーショックを起こす事があるので、
症状が出た場合はすぐに病院へ。

蜂蜜は非常に甘みの濃い液体なので、もしかしたら浸透圧で
毒が吸い出されるという事もあるのかもしれないが、
専門家の意見を待ちたい。真似はしないように。