栗本丹洲著「千虫譜」のデータベース的なものを作りたい

追加された行はこの色です。
削除された行はこの色です。

&ref(https://image01.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/6e9cfab0370d0c78.jpg,100%)
----
*原本B
|center:[[原本B1-25]]|center:[[原本B1-24]]|
|[[&ref(https://image02.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/473e3fd5b498b0bc-s.jpg)>https://image02.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/473e3fd5b498b0bc.jpg]]|[[&ref(https://image01.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/0529550ab5ee7904-s.jpg)>https://image01.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/0529550ab5ee7904.jpg]]|
*生物情報

*翻刻
透明尾ニ至ルヲ撰テ簇中ニ           螓首蛾眉
入ルヽナリ其三分一モ黒処アルヲ
入ルヽ時ハ濁尿ヲ瀉シテ繭ニ触
レハ腐テアシヽト云リ唐山ニ
モ候十蚕九老ノ方ニ可入簇ニ
ト云ヘリ簇トハ枝又アル枝ヲ束
ネタルヲ入置キ上に&ruby(ワラ){稲草}ヲ覆フ
ヲ云蚕ヲ此中に入レバ便チ糸ヲ
吐キ枝又ニ掛テ糸ヲ造ルコレヲ俗ニ
スガクと云繭ノ形を造リテ透徹
シテ蚕ヲ見ルニ一昼夜ホトノ内一息
ノ休ミナク身ヲ縮メ仰キ
俯テ右往左往ニ糸ヲカクル
事暫モ休息スル事ナシ後に厚
クナレバ蚕ミヘズナリヌ甚辛苦ノ
体ニミユ此其性ノ自然ナリ繭ニ数品アリ
緊小ニシテクヒレメアルハ
雄ナリ丸キ形ハ雌ナリ故ニ唐山ニモ
雄繭尖細緊小ト云
円慢厚而腰大者雌也トアリ一蚕一繭ヲ造ルモノハ形狭ク性ヨク糸強
シ和名抄ニヒキマユト訓ス今俗に小マユト呼フモノナリ此繭ヲ用テ羽白重
紗綾縮緬等ヲ織ルニ此糸ヲ用ユ潔白ニシテ光リ多ク上品ナリ天工開
物ニ凡取糸必用円正独蚕繭則緒不乱ト云ヘリ又二蚕或ハ四五蚕
共ニ一繭ヲ造ルモノハ形濶ク大ナリ飛州ニテフトマユ甲州ニテ八人枕ト云
此糸弱クシテ光リ少シ下品トス故ニ多クハ綿トスコレヲ唐山ニテ同宮
繭と云事物紺珠ニ見ヘタリ繭マユ事物紺珠ニ蚕衣ト云名アリ正
字通ニ蠒即繭ノ俗字又省書シテ□(尔の下に虫)ノ字ヲ用ユル事アリ繭ト同シ
略字ト思フベシ凡ソ繭烈日三日許曝乾シテ後糸ニヒクコレニハ蚕ノ啖
残セル桑葉ヲ貯へ置テ火にタキ灰トナシアクニタレテ鐺中ニ
沸シテ繭を入レ糸ヲヒクニ緒不乱シテ二三百個ノ繭ニテモ尽ク一條
ノ糸トナリ出ルモノナリ神奇不測ノ妙ト云ベシ日ニ曝スハ中ノ&ruby(ヒル){蛹}ヲ殺
サンガ為也不然ハ繭ヲ破リ羽化シ出レバ其繭糸截断シテ糸にナリ難シ
故ニ皆綿ニ製スコレヲ俗ニワタマユト云東医宝鏡既綿繭ノ名アリ又
空蚕繭蛾口繭繭空等ノ名アリ繭中ニ居ルモノ&ruby(ニシャドッチ){𧏡蜟}ノ状ニ似


*書き下し
候十蚕九老ノ方ニ可入簇
十蚕九老のそうらうに方に簇に入れるべし

雄繭実細緊小

円慢厚而腰大者雌也

凡糸必用円正独蚕繭則緒不乱

*現代語訳
尾まで透明になったのをよりわけて、まぶし((カイコが繭を張るのに適当な物。今では二匹以上が一緒に繭を作らないよう枡形が主流の様子))の中に
入れる。その三分の一も黒い所があるのを
入れる時は濁った尿を出して繭につけば、
腐ってよくないという。唐山にも

十蚕九老のそうらうに、方((四角いマスの事))に&ruby(まぶし){簇}に入れるべし

といっている。マブシとは又のある枝たばねたものを
入れて置き上を稲草でおおう
のをいう。蚕をこの中に入れれば、糸を
吐き枝又に掛けて糸を造る。これを俗に
スガクという。繭の形を造って透けて見える
蚕をみるに、一昼夜ほどのうちに一息の
休みもなく身を縮め、仰ぎ、
うつむいて、右往左往に糸をかける事
少しも休息する事が無い。後に繭が厚くなれば
蚕が見えなくなる。大変な辛苦の
様子にみえる。これはその自然の性質である。繭には数品ある。
固く小さくくびれ目があるのは、
雄で、丸い形は雌である。故に中国でも
雄の繭は実が細く堅く小さく、
丸く厚く腰が太い物は雌であるとあるという。一匹の蚕が一つの繭を作るのもは形狭く、性質もよく、糸が強い。
和名抄((和名類聚抄))にヒキマユと読み、今俗に小繭と呼ぶものである。この繭を用いて羽白重((?))
紗綾、縮緬((羽白重は不明だが、いずれも布生地の種類))を織るのに、この糸を使う。潔白でツヤが多く、上級品である。
天工開物((明末(17世紀)に宋応星によって書かれた産業技術書))に糸は必ず一匹の蚕入った繭を使う。
すると、糸の初めが乱れないといわれている。また、二匹の蚕或いは四、五匹の蚕が
一緒に繭を作る物は大きい。飛州((およそ今の岐阜の北部。飛騨地方))ではフトマユ、甲州((およそ今の山梨))では八人枕という。
この糸は弱くツヤも少ないので下級品とする。なので、多くは綿にする。中国では同宮繭
というと事物紺珠((1604年明の黄一正編))に書いてある。事物紺珠に繭の事を蚕衣名があり、
正字通((明末の張自烈によって編集された漢字辞典))に蠒という字は繭の俗字又は省略した物で、
(尔の下に虫)の字を使う事もあるが、略字だろう。繭は夏の照り返しの激しい日に三日ほど曝して、
乾燥させてから糸にひく。これには、蚕が食べ残した桑の葉をためておいて、
火で焼き灰にして、アクニタレテ((?))鐺の中に
沸かして繭を入れて糸をひくと、緒が乱れず、二三百個の繭を煮てもことごとく一つの
糸となって、出てくるのは、不思議で計り知れない。日に晒すのは、中の蛹を殺す
為で、こうしないと、繭を破って蚕が羽化し出てしまうので、その繭の糸が切れて糸になりにくい。
なので、皆綿にする。これを俗にワタマユという。東医宝鏡((1613年に刊行された李氏朝鮮時代の医書。許浚著。))に綿繭の名がある。
空蚕繭、蛾口繭、繭空等の名前がある。繭の中にいるものは、ニシャドッチ((一部の鱗翅目の蛹の一形態。触るとそれらしい方向を指すので、「西はどっち?」からニシャドッチに訛ったと言われている))の状に似て
空蚕繭、蛾口繭、繭空等の名前がある。繭の中にいるものは、ニシャドッチ((スズメガ類の蛹。触るとそれらしい方向を指すので、「西はどっち?」からニシャドッチに訛ったと言われている))の状に似て

(挿絵右)螓首蛾眉((美人のたとえ。蝉のように色が白く額が広い。蛾の触覚のような太い丸みを帯びた眉))
*備考
繭の形が、鼓型なら雄、俵型なら雌等という俗信が書かれているが、
それで雄雌を決する事が出来る判断したという事は、この頃の品種改良は完全ではなく、
俵型と鼓型が混在する事もあったのかもしれない。(実際には繭の形で雌雄はわからない)
ちなみに、コマ20では鼓型で、色も黄色い物があった事がわかる。
コマ23はほぼ俵型である。

メンバーのみ編集できます