栗本丹洲著「千虫譜」のデータベース的なものを作りたい

追加された行はこの色です。
削除された行はこの色です。

&ref(https://image02.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/90d7221def9a6b29.jpg,100%)
----
*原本A
|center:[[原本A1-21]]|center:[[原本A1-22]]|
|[[&ref(https://image02.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/c4499c2c60bf9b8b-s.jpg)>https://image02.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/c4499c2c60bf9b8b.jpg]]|[[&ref(https://image02.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/0aa95e3553b7bf7a-s.jpg)>https://image02.seesaawiki.jp/s/o/senchu-hu-memo/0aa95e3553b7bf7a.jpg]]|
*生物情報
カイコ
*翻刻
紙上に産スル事一粒ツヽナラベ重リ合事ナシ天工開物ニ云ヘルカ如シ曰一蛾計生卵二百餘粒
自然粘于紙上粒々勻舖((A本鋪誤字か))天然無一堆積コレ実ニ形状ヲ尽タリト謂ヘシ此紙を蚕連ト云
俗名タネガミ又蚕種紙&size(11){三才図絵}蚕布紙&size(11){大観本草}蚕子紙&size(11){村家方}((A本になし))等ノ名アリ又春時已ニ䖢ノ出タ
ル空卵附タル紙ハ薬用トス蚕蛻紙&size(11){附方}蚕故紙&size(11){同上}蚕出紙&size(11){御薬本草}蚕退
紙&size(11){證治準縄}等ノ名アリ〇白殭蚕江州ニテオシヤリト云江戸ニテホシコト云異名直殭蚕&size(11){医宗金鑑}
死冰&size(11){輟耕録}白甘遂&size(11){保赤全書}等ノ名アリ俗ニ強蚕ト書シテ通用ス死蚕ノ白直ナルモノ堅ク石
ノ如ナルモノ也幼科日用ノ薬也蝉退ヨリ其功多シ天麻ト組合ノ鎮驚ノ剤缺へカラス此物色ノ黒
キモノ偽ナリ白殭蚕ハ多ク得難シ此モノ有事ハ蚕ノ當リタル年ナリトテ神棚ヘ上テ祝フ事
アリ故ニ薬舗ニテ多ク得事ナリ難シ故ニ姦商別ニ此物ヲ造作センカ為ニ最初ヨリ蚕ヲ飼モ
ノアリ此蚕繭ヲ作ラントスルマへ惣身黄金色ニナリ咽頭透明ニナリタルヲ候テ沙鍋ニ入テ炒殺
シ石灰ヲマブセテ日乾スト云薬肆多クハ此偽造ノ白殭蚕ニテ利ヲ得ト云白キハ自然ニ白ク
ク黴タル如クコレヲ折レハ堅硬透明琥珀ノ如クナルヲ真物真物トスヘシ其白ニ過テ粉ヲ撲カ如ク折レハ
内ニ蚕沙ヲ含ミ黒色ナルハ極テ堅硬ナラスコレ真物ニ非ト知ヘシ本草彙言ニ蚕病風死其
體直強其色自白死且不朽也今市肆多用中湿死蚕或用石灰末淹拌令白服之為害最
深不可不慎也ト云ヘリ又天工開物ニ若風則偏忌西南西南風大𠡍則有合箔皆殭者ト
云本経逢原入薬惟直者為雄去黒口及糸炒用トアリ〇烏爛蚕 江州ニテタリコト呼
黒ク腐リタルヲ云コレヲ白殭蚕ニ雑入スル事宜ク撰ミ去ヘシ〇蚕蛻カイヒコノキヌ是蚕ノ眠ル毎ニ蛻
去処ノ苗皮ナリ佛退或馬明退等ノ名アリ唐山ニテ薬用ニス和方用ル事ナシ〇原蚕 和名
ナツゴ也一名晩蚕 魏蚕 夏蚕熱 蚕等ノ名アリ正字通ニ蝩ト名ク六月中旬ノ頃&ruby(ハルコ){春蚕}
ノウミ付ケタル種子初メハ色白ク形円ニ頭ニ微尖アリ三日許ヲ経テ色黄ニ変シテ形扁凹トナル又四日
許ヲ歴テ其色浅黒微紫ニ変ス又日ヲ歴テ頭尖黒色ニ変シ漸ク全ク黒色トナリ一日ヲ歴テ卵
ヲ穿テ䖢出ルコレヨリ漸ク成長シ眠起スル事四度過テ繭ヲナシ蛾ニ化スル事春蚕ト同シ只其日数早
シ薬用ニ蛾ト沙トヲ用ユ江戸ニテハ二度ガヘリヲコト云時珍云按ニ鄭玄注周礼云原再也謂再養
者云宗奭曰原者有原復敏速之義頌曰原蚕東南州郡多養之此是重養者俗呼為晩蚕
北人不甚養之ト云リ予嘗テ此物ヲ養事アリ其蚕キヤウキアシク箔上ニノミ在事ナシ屋角ナトニハ
ヒ上リ蔟ヲアテガウヲ待タズ障子戸角等ニハヒテ繭ヲ作ル事二蚕一繭ニ入リ三四蚕一ニ入ル其
マユ柔ニシテ薄ク扁ナリ其性アシヽ強キ糸ニハナラス皆綿ニ作ルト𧈧トモ性弱シ烏犀圓方中晩蚕
蛾一粒金丹ニモ入其早ク再ヒカヘル事ヲ其巧ニトレルナリ雄ナル蛾撰テ薬用トストアレトモ雄者
*書き下し

*現代語訳
前ページより 種)紙の上に置けば卵を紙上に産みはじめる。一粒ずつならべ重リ合う事はない。
天工開物((明時代の宋応星によって書かれた産業技術書))に書いてある通りである。
曰一蛾計生卵二百餘粒自然粘于紙上粒々勻鋪天然無一堆積((翻訳中))
これは本当にその様子をよくあらわしているといえる。この紙を蚕連いう俗名
タネガミまたは、三才図絵((1609年出版。王圻とその次男王思義によって編纂された絵を主体とした百科事典のようなもの))では蚕種紙
大観本草((書物名))では蚕布紙、。村家方では蚕子紙((書名))等の名がある。
春の頃既に小さいイモムシが出た空の卵がついた紙は薬用にする。附方(())では蚕蛻紙、同上(())蚕故紙、
御薬本草(())では蚕出紙、医塁元戒(())では出蚕紙、證治準縄(())蚕退紙等の名がある。((A本では空の卵を薬用に使用する旨の記述はない。後半の蚕蛻紙〜蚕退紙までタネガミとして扱われている))
○白殭蚕江州((近江。現在のおよそ滋賀県))ではオシャリという。江戸
にてホシコという。別名、医宗金鑑((清の乾隆帝の命によって1749年に刊行された、中国の伝統医学全書。))では直殭蚕。輟耕録((元末の1366年に書かれた陶宗儀の随筆))では死冰、保赤全書(())では白甘遂、等の名がある俗に強蚕
と書いて通用する。死んだ蚕の白く真直ぐで堅ク石ノようになったものである。
幼科((今でいう小児科))日用薬である。蝉退((セミの抜け殻))より、その効き目はよい。天麻((ラン科オニノヤガラ属。オニノヤガラの根茎。腐生植物。))と組み合わせるとき鎮驚((不安感解消))の薬として欠かかせない。
此物で色黒いのは偽物である。白殭蚕は多く得られない。これがある年は蚕ノ当年であるとして
神棚へ上げて祝う事がある。なので、薬屋でたくさん得る事はむずかしい。
だからずる賢い商人は別にこのものを作る為に最初から蚕を飼う者もいる。
この蚕が繭を作ろうとする前、全身が金色に
なり喉も透明になったら、専用の鍋で炒って殺して石灰をまぶして日光で乾かす
という。薬師の多くはこの偽造の白殭蚕で利益を得るという。白いのは自然に白く黴
た様で、折れば、堅く透明で琥珀の様な物を本物とする。その白が白すぎ
て粉をまぶした様で折れば内に蚕沙((蚕の糞))を含んで黒色なのは全く堅くならず、これは
本物ではない。本草彙言に「※翻訳中〜

〜」といっている。また、天工開物にも「※翻訳中〜

〜」とある。○烏爛蚕 近州((近江。現在の滋賀あたり))にて、タリコと呼ぶ。黒く腐ったのをいう。
これが白殭蚕にまざる事があるので、よく選び取り去ること。○蚕蛻 カイコノキヌという。これは、蚕の
眠る度に脱皮する古い皮である。
佛退、或いは馬明退などの名がある。中国では
使うが、日本では用いる事はない。○原蚕 和名ナツゴである。晩蚕、魏蚕、夏蚕、
熱蚕などの名がある。正字通((明末の漢字辞典))に蝩と名がついている。六月中旬の頃&ruby(ハルゴ){春蚕}の産み付けた卵は
初めは白く形は円で、頭にかすかな突起がある。三日程たつと、色が黄色に変わって形が平らになりへこむ。
また四日ほどたつと色は浅黒く、かすかに紫に変わる。さらに日をへて、頭が尖り黒く変わり、ようやく
真っ黒となって、一日を経て、卵を破って小さい幼虫がでてくる。これから、ようやく成長し、四度眠起して
繭を作り蛾になるのは春蚕と同じである。ただその日数が早い。薬用に蛾と沙(糞)とを
用いる。江戸では「二度がえりヲコ」という。時珍((李時珍))がいうには

漢文翻訳中

私はかつて、これを飼う事があったが
その蚕はぎょうぎが悪く、箔の上にのみいる事がなく、屋根の角などにはいのぼり、まぶしをあてがう
のを待たず、障子戸の角などにはって繭を作り、二匹の蚕が一つの繭に入り、三四匹の蚕が一つの繭に
入る。その繭は柔らかく、薄く、平べったかった。其の性質は悪かった。強い糸にはならず、
皆綿にしたけれども、性質が弱い。烏犀圓(())の作り方の中に、晩蚕蛾がある。一粒金丹((津軽一粒金丹ならば、アヘンを含む鎮痛、精力剤))にも入るその早く再びかえる事をその効果をとりいれている。
雄の蛾を選んで薬用にするとあるけれども、雄(ばかり――次ページに続く
*備考
一粒金丹が早く効くのは早く育つナツゴの効果であると書かれているが、
主原料はアヘンなので、ナツゴの効果はないと思われる。
主原料はアヘンなので、ナツゴの効果はあまり大したことはないと思われる。

メンバーのみ編集できます